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大幡公民館(おおはたこうみんかん)

更新日:2026年8月21日

施設概要

大幡公民館は、木造平屋建ての施設として建て替えられ、「大幡会館」として生まれ変わりました。(令和8年8月1日オープン)
施設名は変わりましたが、実態としては「大幡公民館」を引き継ぎ、生涯学習や地域活動の場としてこれまでどおりご利用いただけます。
部屋は、ホールと会議室が貸出可能です。また、活動・交流スペースは、個人学習や休憩が可能なフリースペースです。(リモートワークは禁止)

対象区域

柿沼、代、原島、新島、小曽根、上中条、今井、大塚、上奈良、中奈良、下奈良、四方寺、奈良新田の全部
大原2丁目の一部
(注釈)大幡、中条、奈良の3つの小学校の通学区域全体

ホール設備

アップライトピアノ

駐車場

24台

公民館事業

さわやか学級

大幡地区のかたに向けて人権学習をはじめ、市政宅配講座などを活用し幅広い内容を提供できるよう心がけています。

まなびや学級

生活の中に取り入れられる情報や、心を豊かにしてくれる手作り品を、地域の先生に丁寧に教えていただいています。ボイストレーニング教室、折り紙教室、民謡教室など年齢に関係なく、多くのかたに公民館で活動して頂けるような内容となっています。

休館日および利用できない日

  • 12月29日から翌年1月3日まで
  • その他、管理上、特に必要があると認めたとき

所在地

熊谷市代586番地5

電話、ファックス番号

048-524-5141

  • 電話でのお問合せは月曜日・火曜日・木曜日・金曜日にお願いします。

利用の方法、使用料(利用料金)等について

利用方法

ホールまたは会議室の利用には事前の申請が必要です(活動・交流スペースを貸切り利用する場合も同様)。活動・交流スペースは、貸切り利用の場合を除き、事前の申請なしで利用が可能です。詳しくは、対象施設の窓口に、直接または電話でお問い合わせください。公共施設予約システムによる予約も可能です。
貸室の利用時間の区分ですが、「午前」、「午後1」、「午後2」、「夜間」の4コマ割りとなっています。一般的な地域公民館の3コマ割り(「午前」、「午後」、「夜間」)とは異なっていますので、ご注意ください。詳しくは、以下の「使用料(利用料金)」の表をご覧ください。
複数のコマにわたって続けて利用する場合(例えば、「午前」から「午後1」まで通しで利用する場合)は、その間の時間(この例では正午から13時までの1時間の分)についても使用料がかかります。
また、附属設備(備品)の使用料がかかる場合もあります。
なお、使用料は、減免になる場合があります。減免を受けるには申請が必要ですので、いずれについても、詳しくは、対象施設の窓口にお問い合わせください。

使用料(利用料金)

市内に在住・在勤・在学の利用者の使用料は、次の表のとおりです。
市外の利用者が利用するときの使用料は、「団体」・「団体以外」ともに、表に記載の金額の2倍の額となります。

「団体」が利用する場合

地域会館の使用料(団体の場合)
貸室午前
(9時から正午まで)
午後1
(13時から15時30分まで)
午後2
(16時から18時30分まで)
夜間
(19時から21時30分まで)
ホール1,440円1,200円1,200円1,200円
会議室480円400円400円400円

活動・交流スペース(貸切り)

960円800円800円800円

(注釈)「団体」とは、学習グループ・サークル、自治会(認可地縁団体を含む)、長寿会、校区連絡会、(地区)PTA、(地区)子ども会、各種イベント実行委員会など、いわゆる法人格のない団体を指します。

「団体以外」が利用する場合

地域会館の使用料(団体以外の場合)

貸室

午前
(9時から正午まで)
午後1
(13時から15時30分まで)
午後2
(16時から18時30分まで)
夜間
(19時から21時30分まで)
ホール5,760円4,800円4,800円4,800円
会議室1,920円1,600円1,600円1,600円

活動・交流スペース(貸切り)

3,840円

3,200円

3,200円

3,200円

(注釈)「団体以外」とは、法人(認可地縁団体を除く)または個人を指します。塾、教室等を営む個人事業主や一般の会社なども利用できます。ただし、純然たる物品販売等は禁止です。

「大幡」地域について

地名の由来

大幡(おおはた)

明治22年、幡羅はら郡下の柿沼、新島の二村と、大里郡下の原島、代の二村の計四村が合併した際、大里郡の「大」と、幡羅郡の「幡」を合わせて「大幡」とした。

原島(はらしま)

2つの由来が推定されている。

  1. 原島の「原」は原野の意味ではなく、ハリ(墾)の転化であり、シマ(島)は、村落の意味であり、開墾地に居住すること(島)によってこの地名が生まれた。
  2. アイヌ語のハラシヌマ(harashuma)で、広い石原のことを指す。かつてこの地域は、荒川・利根川の流路であり、広い川原であったことからこの地名が生まれた。

代(だい)

2つの由来が推定されている。

  1. 代は台と同義で、村が平坦地にあったためこの地名がついた。
  2. アイヌ語でタイ(Tai)で、森の意味で、この地に大きな森があったことから、この地名がついた。

新島(にいじま)

2つの由来が推定されている。

  1. もとは玉井村に属していたが、文禄年間に新島右近がこの地を開墾し一村としたことから、開墾者の名前をとって村名とした。
  2. 玉井村に属していた時には、京円島村と呼ばれていたが、その後独立して一村をなした時、新しくできた島(村)ということから新島村と改められた。

大幡村合併記念碑(おおはたむらがっぺいきねんひ)

JAくまがや大幡支店敷地内に建てられているこの碑は、昭和7年4月1日に、大幡村が熊谷市に編入されたことを記念して建てられたものです。
篆額てんがくは石坂養平、せんは大幡村長清水郊朔、書は東海舞原撰一。高さ277.7センチメートル、幅は126.0センチメートル。

石坂養平(1885-1969)

奈良村(現熊谷市)出身の文芸評論家・政治家。大正4年の「芸術と哲学の間」で注目され、『文章世界』などに執筆。一方、政界にも進出し、昭和3年衆議院議員に当選し、戦後は埼玉県公安委員会委員長、埼玉県文化財保護審議委員、埼玉県文化団体連合会長などの要職に就く。

清水郊朔(1875-没年不明)

市内原島生まれの政治家。明治44年から大正5年、大正15年から昭和7年にかけて、大幡村長を務める。信用組合を結成して村の資力を増進した。

舞原撰一(1883-1953)

秦村(現熊谷市)出身。奥原晴湖門人。舞原家は画家3代続いた家で、祖父耕雲は寺門静軒に師事、書を中村雪城、画を山崎薫ぜん(漢字はさんずいにぜん)に学ぶ。父松潭は、画を耕雲に学び、奥原静湖と親交を結ぶ。撰一は、幼少より奥原静湖の教えを受け晴雲と号したが、静湖が晩年になって「東海」の号に飽きたといわれるのを聞き、許しを得て舞原東海と改める。その後東海は、実業界に入り、熊谷製糸の常務取締役、秦村村長、信用組合長などの要職に就き、余暇を書画の道に親しんだ。

大幡村道路元標(おおはたむらどうろげんぴょう)

柿沼地内の雀神社境内に設置されています。花崗岩製で、コンクリート製の台座の上に設置されています。

道路元標

道路の起終点を示す標識で、明治44年に、現在の日本橋が架けられたとき、「東京市道道路元標」が設置され、大正6年の旧道路法で各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされた。

一里塚(いちりづか)

一里塚は、慶長9年(1604)、江戸幕府が江戸日本橋を起点に、東海道・中山道など主要な街道沿いに、旅の道のりの目印とするため、築かれました。街道の両側に1里(約4キロメートル)ごとに設けられ、榎やけやきが植えられていました。現在の一里塚は、旧中山道の東側に築かれたものが残されており、江戸時代半ば頃に植栽されたと考えられるけやきがあります。

熊谷市指定記念物史跡

昭和29年11月3日指定

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このページについてのお問合せは

中央公民館
電話:048-523-0895(直通) ファクス:048-523-0896

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