施設はありませんが、中央公民館を主な活動場所としています。
- 本町一丁目の一部
- 仲町
- 星川一丁目の一部
- 弥生一丁目の一部
- 宮町一丁目の一部
- 鎌倉町

札の辻跡
札の辻は、高札の設置場所で、高札場とも言われました。高札は、掟・条目・禁令などを板に書いた提示版で、一般大衆に法令を徹底させるため、市場・街道など人目を引く所に提示されました。
熊谷宿の高札場は、宝永年間に記された「見世割図面写」により、場所・大きさなどが推定できます。
場所については、「町往還中程に建置申候」と記され、木柵で囲まれた屋根のある高札場が描かれています。この説明から、高札場は現在の大露地通りと中山道の交差する道の中央辺りにあったことが推察できます。高札は、高さが、一丈一尺(約二・三メートル)、横幅が六尺四寸(約二メートル)の大きさでした。高札十四枚は市指定文化財として保管され、中山道の歴史を知る資料となっています。
熊谷市指定記念物史跡。

本陣跡
江戸時代、各街道の宿場町に置かれた大名や幕府役人・公家・貴族などのための特別な旅館です。熊谷宿には竹井本陣・鯨井本陣・石川本陣の3軒の本陣がありました。竹井本陣は、「本陣絵図」により間取りの状況が明確であり、規模・構造ともに全国屈指のものであることが分かっています。
熊谷市指定記念物史跡。

陣屋跡
江戸時代、熊谷宿は忍藩に属しており、忍藩主の命を受けての町の運営が行われ、宿の役人が担っていました。陣屋跡は、現在の千形神社付近に置かれ、忍藩の役人が交替で訪れ、熊谷宿の運営の監督をした役所の跡であるとされています。平時は留守番を置き、事あるときは役人を派遣して事務を行いました。
熊谷市指定記念物史跡。

戦災者慰霊の女神像
1975年に、星川に建てられた戦災者慰霊の女神像。北村西望氏による、昭和20年8月14日の熊谷空襲で亡くなった方々の慰霊のための平和祈念像。

星溪園庭園
竹井澹如が元和年間からある池を中心に名石、石塔を配置して造った名園。
この池は元和9年(1623)、荒川の洪水により当園の西方にあった土手(北条堤)が切れてできたもので、その池には清らかな水が湧き出るので、「玉の池」と呼ばれ、この湧き水が星川の源となりました。昭和初期、この地を訪れた前大徳牧宗禅師(ぜんだいとくぼくしゅうぜんじ:大徳寺僧:京都臨済宗)が、「星溪」と命名し、昭和25年に熊谷市が譲り受け、昭和29年に市の名勝として指定しました。平成2年から4年にかけて園内の整備が行われ、老朽化の見られた建物は、数奇屋感覚を取り入れた上で復元されました。
熊谷桜が咲き誇る花の御寺を詠んだもの。
石上寺櫻堤
千枝櫻気曙霞紅
石燈香台花影中
評画題詩芳樹下
文人適意坐春風
(大意)
枝々には桜の気が漂い、明け行く霞の中に薄紅いの花が咲き誇り
石段の上にある御寺は、花影の中に見え隠れする
画を評し、詩を論ずる桜の木のもと
文人は正に真意を得て、春風に座している
5月号(PDF:2,287KB) |
6月号(PDF:3,513KB) |
7月号(PDF:3,268KB) |
8月号(PDF:3,335KB) |
9月号(PDF:3,032KB) |
10月号(PDF:5,570KB) |
11月号(PDF:3,835KB) |
12月号(PDF:3,045KB) |
2月号(PDF:3,755KB) |
3月号(PDF:3,927KB) |
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4月号(PDF:888KB) |
5月号(PDF:311KB) |
6月号(PDF:1,295KB) |
7月号(PDF:1,362KB) |
8月号(PDF:1,234KB) |
9月号(PDF:2,479KB) |
10月号(PDF:2,930KB) |
11月号(PDF:5,359KB) |
12月号(PDF:4,431KB) |
1月号(PDF:4,778KB) |
2月号(PDF:4,561KB) |
3月号(PDF:4,149KB) |
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