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長井公民館(ながいこうみんかん)

更新日:2024年3月18日

【お知らせ】新型コロナウイルス感染拡大防止のための公民館利用について

施設概要

長井公民館は平成3年に建設された、鉄骨平屋建ての施設です。
部屋は、和室、会議室があり、生涯学習・社会教育活動に利用可能な施設です。

駐車場

96台(熊谷市立武道館と共用)

所在地

熊谷市江波363

電話等

電話番号

048-588-3924

ファクス番号

048-588-3924

使用料

室名

午前使用料
8時30分から12時

午後使用料
13時から17時

夜間使用料
17時から21時

1日使用料
8時30分から21時

和室 1,050円 1,050円 1,570円

3,670円

会議室 2,100円 2,100円

3,140円

7,340円

「長井」地域について

地名の由来

 明治22年、西野・田島・上根・西城・江波・八ツ口・善ケ島・上須戸の各村が合併して長井村となった。
 この名称は、この地区が平安時代末期に斎藤実盛によって開かれたと考えられる荘園「長井荘(ながいのしょう)」に含まれていたことから、それにちなんで名付けられた。

地域の建造物・天然記念物

龍泉寺観音堂(りゅうせんじかんのんどう)【埼玉県指定文化財】

 簡素な三間四面(みましめん)の方形造(ほうぎょうづくり)で、建立当初は茅葺き屋根であったが、平成2、3年度の解体修理により銅板葺きに変更された。
 木鼻(きばな)や支輪(しりん)といった部材に古い様式が残っている。江戸時代初期のものと推定される。

長慶寺薬師堂(ちょうけいじやくしどう)【熊谷市指定文化財】

 国宝歓喜院聖天堂を造った林正清や石原吟八郎によって、西城村の人々が中心となって資金を出して、元文4年(1739年)に堂内部の来迎柱(らいごうばしら)と宮居(みやい)が建立された。
 正清が聖天堂と同時期に工事を行った唯一のもので、来迎柱のデザインや技法は、聖天堂奥殿とこの建物でしか見られない極めて精緻で高度な技術が使われている。また、正面の虎や龍などの彫刻は、村周辺の大勢の女性たちの寄進によって造られた。

長昌寺の椎の木(ちょうしょうじのしいのき)【熊谷市指定文化財】

 寺伝によれば、斎藤実盛が西野に館を築いたとき、八ツ口の薬師堂を鬼門除けの祈願所とし、三本植えたうちの一本が残ったものとと言われている。
 樹高約9メートル、枝張り周囲約5.7メートル、樹齢は800年と推定されている。幹が数条に分かれており、根本より木造の歓喜天像が発見された。

上須戸八幡大神社(かみすどはちまんだいじんじゃ)

 伝承によると、1057年、源頼義が安倍貞任討伐に奥州へ向かう途上、上須戸に逗留した際、村民を悩ます大蛇の話を聞き、その退治を土地の島田道竿に命じ、これを倒した。
 上須戸大神社は、吉事としてこのとき放った矢が当たった場所に建てられたとされている。

伝実盛塚(でんさねもりづか)【熊谷市指定文化財】(指定文化財登録名:斎藤別当実盛館跡)

 かつては今より北側にあったが、河川改修により現在地に移った。斎藤実盛を弔うために築かれた塚とされ、すでに江戸時代には実盛塚と呼ばれていた。塚の上に残る板碑は、正嘉元年(1257年)に造られた。なお、裏面の文字は、後の時代に彫られたものである。
 現在の塚の東方に館の区割りの痕跡が残っており、周辺部が実盛を祖とする一族の居館であった可能性は高い。

地域の人物

天沼恒三郎(1864-1950)

 田島出身。一家で北海道に移住し、利別(としべつ)原野インマヌエル(現・瀬棚郡今金町神丘)に入植し、開拓の中心的人物の一人となった。なお、この開拓は荻野吟子の夫・志方之善が始めた事業で、吟子も入植している。天沼は、道路建設、教会建設、酪農振興等を進め、明治39年(1906)には村会議員となる。
 のち、清水村(現・檜山郡厚沢部(あっさぶ)町清水)の開墾に従事、厚沢部村会議員にもなり、村政、産業振興に尽力した。

地域の歴史・伝説

福川の亀(江波)(熊谷市史・別編1「民俗」「口頭伝承」より)

 ある日、ここの長者富翁が、自分の家の前を流れている川を馬に乗って渡っていた、すると一匹の亀が馬の尾にとりついて離れない、そこで長者はこの亀を捕えて我が家に持ち帰り、鎖をつけて柱につないでおいた。
 富翁の使用人にお福というものがいたが、この亀の姿をみるといかにもこわい目をしている、そこで(あまりこわい目をしないでよ)といって、ひしゃくに水を汲んできて亀の甲にかけてやった。
 亀は水をかけられたので、にわかに元気づき、とうとう鎖を切っていずこともなく逃げ去ってしまった。その後、お福がかの川に洗濯にいくと、かつての亀が出てきては、金などを与えたという。
 こんなことがあってから、その川の名を福川と呼ぶようになったということである。

大性寺(だいしょうじ)に降った雹(ひょう)(上根)

 「気象要覧 第261号」によれば、大正6年6月29日、大里郡、北埼玉郡に雹が降り、大きな被害が出たことを伝えている。要覧には熊谷測候所の調査記録があり、「長井村の大正(性)寺の飯野住職が測った雹の塊は、径7寸8分(直径約29.5センチメートル)あった。」としている。世界的に見ても記録的な雹が降ったことがうかがえる。

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令和3年度

令和2年度

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妻沼中央公民館
電話:048-588-2044 (直通) ファクス:048-589-0456

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