このページの先頭です

別府公民館(べっぷこうみんかん)

更新日:2021年8月16日

施設概要

別府公民館は、昭和42年に設立された公民館です。現在の建物は平成16年に建設された、鉄筋コンクリート造1建ての施設です。
部屋は、ホール、和室、会議室、創作室、軽体育室があり、生涯教育・社会教育活動に利用可能な施設です。

別府公民館建物平面図
建物平面図

対象区域

東別府、西別府、下増田、別府一丁目、別府二丁目、別府三丁目、別府四丁目、別府五丁目、玉井一丁目の一部

ホール設備

可動式舞台、、拡声装置、アップライトピアノ(軽体育室)

駐車場

200台

公民館事業

あいの泉学級
人権研修を始まりとし、音楽鑑賞・交通安全教室・健康講座と体操・落語・文学講座・館外研修と受講する人の意見を多く取り入れた教室を毎年9講座開催しています。文学や音楽など毎年行う教室については、その時のニーズに合わせたものを開催していて、有意義な教室になっています。

方言研究
近世の風習や言葉が色濃く残る明治・大正生まれの祖父母に育てられた世代を中心に「ことばはその土地に根付いた総合的な文化のあらわれ」という観点から、消えゆく別府のことばを拾い集めて、かつての暮らしぶりがうかがえる例文を多く取り入れた方言集を作成しています。

休館日およびご利用できない日

  • 12月28日から翌年1月4日まで。
  • その他、管理上、特に必要があると認めたとき。

所在地

熊谷市西別府2252番地1

電話等

電話番号

048-532-6605

ファクス番号

048-533-4172

使用料

別府公民館使用料
部屋名 面積(平方メートル) 午前使用料(9時から12時) 午後使用料(13時から17時) 夜間使用料(18時から22時)
ホール 127 1,150円 1,570円 2,100円
会議室 47 840円 1,150円 1,570円
和室 39 520円 730円 940円
創作室 45 730円 940円 1,260円
軽体育室 81 840円 1,150円 1,570円

熊谷市、深谷市または寄居町に居住または通勤もしくは通学をしている者以外の者が利用する場合の使用料は、規定の使用料の額の100分の150に相当する額を納入いただきます。

「別府」地区について

地名の由来

別府(べっぷ)

明治22年に、東別府村・西別府村・下増田村の三村が合併してできた村。
別府の地名は、鎌倉時代の元久元年(1204)の『関東下知状写』に「別符郷」の文字が記されている。
別府の由来にはいくつかの説があります。

  1. 古代の武蔵国は21郡を有する大国で、国府のほかに支庁である別府を置く必要があり、現在の熊谷と越谷に置かれたとされており、ここから別府の地名となった。
  2. 別府は別符の転化で、別符とは大宝律令の田令にあるべっ勅旨ちょくしのことで、別勅べっちょくによって定められた土地このとであり、本地域がそれに該当したため、別符→別府の地名となった。
  3. 別府の「府」は当て字で、本来は「符」で太政官符を意味し、荘園新立の時代において別官符を得て開墾した新開地を指す。
  4. 新しく開発された場所の地名。
  5. アイヌ語の「ベップト(Betputu)」の川口の村を表す語に由来する地名

別府村合併之碑(べっぷむらがっぺいのひ)

JA熊谷別府支店敷地内に建てられているこの碑は、別府村が昭和29年11月3日に奈良村、三尻村とともに熊谷市へ編入されたことを記念して建てられたものです。高さは197.0センチメートル、幅は138.0センチメートル。
別府村は、明治22年4月1日に、村制施行に伴い、西別府村・東別府村、下増田村が合併し成立したものです。
碑文には「今日よりは熊谷市民として郷土別府地区の発展を通して大熊谷建設のため相共に精進を誓うものである」と刻まれています。
篆額てんがくは埼玉県知事大澤雄一、撰文せんぶんは熊谷市長鴨田宗一、書は日本書道院笠原草風。

別府村道路元標(べっぷむらどうろげんぴょう)

西別府の県道276号線の薬師堂北側に設置されています。当初は、別府村役場建設予定地となっていた道路東側に設置されていましたが、昭和45年に現在の場所に移設されました。花崗岩製。
道路元標:道路の起終点を示す標識で、明治44年に、現在の日本橋が架けられたとき、「東京市道道路元標」が設置され、大正6年の旧道路法で各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされた。

権田麦翁碑(ごんだばくおうひ)

別府農村公園内に建てられている、麦踏みや二毛作などを全国に広めた麦翁ばくおう権田愛三ごんだあいぞう(1850年から1928年)の業績をたたえる、石坂養平せんの顕彰碑。

幡羅官衙遺跡群(はらかんがいせきぐん)

古代幡羅はら郡家ぐうけ及び祭祀場さいしばからなる官衙かんが遺跡群です。正倉しょうそうをはじめとする多数の建物群や区画施設、鍛冶かじ工房、祭祀場さいしばなどの郡家ぐうけを構成する諸施設が検出され、郡家ぐうけの全体像が把握できるとともに、7世紀後半の成立から11世紀前半の廃絶までの約400年の過程が確認できる貴重な遺跡であり、地方官衙かんがの構成や立地を知る上でも大変重要な遺跡です。
国指定文化財記念物・史跡:平成30年2月13日指定

権田愛三(ごんだあいぞう:麦作の農業改良に尽くした「麦王」:1850年から1928年)

嘉永三年(1850)7月20日武蔵の国別府村に、父和三郎、母いちの長男として生まれました。明治四年(1872)に開誘社を創立して、肥料と藍の栽培に着手したのを始めとして農業の改良につとめました。明治から大正時代にかけて麦の増産の研究に取り組み、麦踏み、二毛作などを全国に広め、『実験麦作改良書』を著して「麦王(麦翁)(ばくおう)」とたたえられました。以来実地指導を受けるため、遠くは鹿児島や熊本などから多くの視察者が来訪し、各地の指導開発に貢献しました。
明治二七年(1894)から晩年に至るまで別府村農会長の職を務め、大正三年(1914)にはそれまでの功績が認められ、緑綬褒章が授与されました。
昭和三年(1928)8月19日、病により逝去。享年七九歳。「真月院麦翁全聲居士」という戒名で、東別府地内の香林寺に葬られています。
昭和四九年には、墓所が「外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。権田愛三墓(外部サイト)」として、熊谷市指定記念物に指定されています

熊谷新八景『別府沼涼風』

熊谷新八景別府沼涼風の画

盛夏になると美しい水生植物の花が開花する沼の涼風を詠んだもの。
別府沼涼風
草深芳沼水花香
幽賞淑姿映野塘
爽気風和江上路
蘆汀熱散占清涼
(大意)
草深い清澄な沼は、水生植物の花が香り
その控え目な美しい姿は、水面に映し出されている
心地よい気は、風に同化し、江上の路となり
蘆の生い茂る水辺は、夏の暑さを消して、あたり一面は清涼に満たされている

PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Get Adobe Acrobat Reader DCAdobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ

このページについてのお問合せは

中央公民館
電話:048-523-0895(直通) ファクス:048-523-0896

この担当課にメールを送る

本文ここまで
サブナビゲーションここから

地域公民館

サブナビゲーションここまで