常光院
更新日:2020年7月13日
「たっぷりと 鳴くやつもいる 夕ひぐらし」・・・
熊谷市に在住する金子兜太(かねことうた:現代俳句協会会長)の句碑がある寺、天台宗別格本山常光院・・・ここは中条氏の館跡(県指定史跡)。藤原鎌足の末裔常光が長承元年(1132)武蔵の国司に任ぜられて下向し、この地に館を構えて中条の姓を名乗りました。その子有家の長男、中条藤次家長は文武両道に秀で、鎌倉幕府の評定衆となり、わが国初の武家の法律「貞永式目(御成敗式目)を定めたのです。建久3年(1192)、家長は祖父常光公の菩提を弔う為に館を寺とし、龍智山常光院毘廬遮那寺と名づけました。茅葺きの大本堂の西、うっそうとした杉林の中の遊歩道に導かれた奥には中条判官常光公の墓、その後ろには初代忍城の城代を勤めた天野彦右衛門忠重を筆頭に三代の墓(市指定史跡)が、常光公を守るように並んでいます。
新たに「赤城久伊豆神社本殿」および「常光院本堂」を熊谷市の文化財に指定しました。
関連情報
クリックすると周辺地図がご覧になれます。