斎藤実盛は、平安時代末期の武将で、長井(現在の妻沼)を本拠とし、妻沼聖天山を開いたとされます。
越前斎藤氏の一族として生まれ、はじめ源為義に仕えました。久寿2年(1155)に、源氏同士が争った大蔵合戦では、畠山重能に頼まれて、敗れて殺された源義賢の子駒王丸を助け、木曽の中原兼遠のもとに送り届けたとされます。保元元年(1156)に起こった保元の乱、平治元年(1159)に起こった平治の乱では、源義朝軍として活躍しています。
平家の世となると、平清盛亡き後に平家の棟梁となる宗盛に仕えます。『平家物語』で、宗盛が、大将が着る錦の直垂を着ることを実盛に許したエピソードが物語るように、二人は非常に深い関係であったようです。また、現在の深谷市東部から熊谷市北部にかかる広い地を平家に寄進して長井荘とし、その荘官となったと想定されます。建久8年(1197)には長井荘の鎮守として妻沼聖天山を開いたとされます。
再び源氏が勢力を取り戻し、源平合戦(治承・寿永の乱)が起きると、最後まで平家軍として戦います。寿永2年(1183)、平家軍と木曽義仲軍が戦った篠原の戦いで討ち死にします。このとき、白髪を染めて出陣し、幼いころに救った木曽義仲軍に討たれる『平家物語』のエピソードは、やがて、能や歌舞伎などの作品で取り上げられ、実盛の名は全国的に有名になっていきます。