奥原晴湖(おくはらせいこ)
更新日:2025年11月7日
女流南画家の大家 1837から1913年

池田繁右衛門政明(いけだしげえもんまさあき)の四女として古河藩に生まれ、縁戚にあたる、谷文晁(たにぶんちょう)門下の枚田水石(ひらたすいせき)に師事し、画力を研さんしました。また古河藩家老鷹見泉石(たかみせんせき)とも親交があり、大きな影響を受けました。江戸へ出るために父政明(まさあき)の妹の嫁ぎ先である奥原源左衛門(おくはらげんざえもん)の養女となり、号を晴湖(せいこ)としました。山内容堂(やまぐちようどう)や木戸孝允(きどたかよし)らと親交があり、明治12年の『皇国名誉書画人名録』に、優れた女性画家として、晴湖(せいこ)が筆頭に挙げられました。明治24年に古河藩領のあった熊谷市上川上に移りましたが、作品への情熱は高く、ますます円熟し、多くの傑作をのこしました。その門人には奥原晴翠(おくはらせいすい)、滝脇晴華(たきわきせいか)、渡辺晴嵐(わたなべせいらん)といった人がいます。

