奥原晴湖(おくはらせいこ)
更新日:2007年7月20日
女流南画家の大家 1837から1913年
池田繁右衛門政明の四女として古河藩に生まれ、縁戚にあたる、谷文晁門下の枚田水石に師事し、画力を研鑽しました。また古河藩家老鷹見泉石とも親交があり、大きな影響を受けました。江戸へ出るために父政明の妹の嫁ぎ先である奥原源左衛門の養女となり、号を晴湖としました。山内容堂や木戸孝允らと親交があり、南宋文人画に一家をのなかでも一番の名声を博しました。明治24年に古河藩領のあった熊谷市上川上に隠棲しましたが、作品への情熱は高く、ますます円熟し、多くの傑作をのこしました。その門人には奥原晴翠、滝脇晴華、渡辺晴嵐といった人がいます。