おたよりパレットNo,120「給食の思い出」
更新日:2016年11月1日
市報くまがやの読者の皆さんからお寄せいただいたご意見を紹介するコーナー「おたよりパレット」。
今月のテーマは「給食の思い出」です。
給食を食べられる時期は、人生の中でわずかなものです。友達とおしゃべりしながら同じ献立を食べたことは、とても貴重な思い出なのだと再認識しました。
- ソフト麺のうどんをまた食べてみたいです。(40代・男性)
- 昭和42年ごろの給食です。好きだったものは、フルーツポンチ、カレーシチュー。嫌いだったものは、脱脂粉乳のミルク。(50代・男性)
- 私の年代で一番話題に上がるのが「脱脂粉乳の牛乳」ですが、確かに不味くて嫌でした。でも、鼻をつまんで息を止めて飲めば、それほど苦にはなりませんでした。私が1番嫌いだったのが、一週間に1回程出る食パンでした。それも耳の部分がどうしても食べられません。なので、真ん中の柔らかいところをくりぬいて食べ、残った耳は家に持ち帰るのです。母はその耳を油で揚げた後、砂糖をまぶして私のおやつとして出してくれるのです。今で言う揚げパンですね。あの味は50年経った今でも忘れられない「母の味」として思い出に残っています。今は平気でそのまま食べられますが、なぜか妻は食べられません。(50代・男性)
- 鯨肉の竜田揚げ。子どもの頃はそんなに好きではありませんでしたが、海外の捕鯨反対運動で鯨肉を食べる機会が少なくなり、懐かしい思い出です。動物愛護は理解できますが、過激な食文化に対する干渉は良くない事と思います。…こんな事も考えてしまいました。(60代・男性)
- 遠い昔、学校給食の始まりの頃を思い出す。終戦後2年程の頃、米軍払い下げの脱脂粉乳を溶いたミルクを弁当箱のふたで飲んだ記憶は鮮明である。(70代・男性)
- ねぎぬたが食べられなかったなあ。小学生にはレベルが高くて…毎回大量に残されていました。ねぎ農家さんごめんなさい。(30代・女性)
- 南小の卒業生です。1、2年の時は、アルミのお椀に、なみなみと入れられた暖かい脱脂粉乳が、毎日出ました。「おいしくない」という人もいますが、あの頃は日本中貧乏でしたので、私はおいしくいただきました。パンも大好きでした。コッペパンが多かったように思います。チーズも給食で初めて食べました。今のように、便利な世の中ではなかったですが、楽しかったです。(60代・女性)
- 昭和30年代後半、小学校2年生の給食の牛乳は脱脂粉乳でした。当番の子が大きなポットを持ってテーブルを回りカップに注いでくれますが、小さな声で「少しにしてね。」とお願いしました。臭くて苦い味でした。それを鼻をつまんで飲んだものです。(60代・女性)
- 好きなものは、とん汁と手巻き寿司でした。あとは特に普段も食べているので普通でした。友達と話しながら食べられたことが、とても楽しい思い出になっています。(30代・女性)
- 酢豚とコバトンパンが大好きでした。コバトンパン、また食べたいです。(20代・女性)
- 小学校時代の鯨肉と揚げパンが好きでした。肉嫌いの友達から全部もらったら、先生に怒られた思い出があります。(50代・男性)
- 小学校の給食に三角の牛乳が出ていて、当時は嫌いで机の奥によく溜まっていました。発酵してパンパンに膨れカビが生えていたなぁ。(40代・男性)
- ミルメークです。あまり牛乳が好きではなかったのですが、ミルメークが出るとコーヒー牛乳になって、ゴクゴク飲めたのを思い出します。それとソフト麺です。お世辞にもラーメンとは言えないような、コシもなく固まっているのですが、これがまた微妙に美味しくて夢中で食べたものでした。給食で初めて食べ、そこから食べられるようになったものも沢山ありました。久しぶりに食べたくなります。(30代・男性)
- 冷凍みかんなどを、休んだ人の分の取り合いが思い出。(40代・男性)
- 美味しい給食の残りは、いつもおかわり。おかげ様で大きな体になりました。(10代・男性)
- 給食当番の配膳係で、特に分けるのが大変な記憶ありました。(60代・女性)
- 小学校2年生の頃、前歯が抜けていて食べるのに時間がかかりましたが、その頃の給食は完食しなければ昼休みまでなくなり、つらい給食でした。その後歯が生えてみんなと楽しく食べたことを思い出します。大好きだったのは、ミートうどんでした。(40代・女性)
- 小学校の頃は、チーズ、牛乳、ひじき、切り干し大根の煮物など、嫌いでいつも残してばかり。年を重ねるにつれ味の良さがわかり、今は大好き。変わるものですねぇ。(60代・女性)
- さんまのから揚げが出たような気がします。コッペパンにはさんで食べた思い出があります。頭は取ってあったと記憶しています。(60代・男性)
- 60数年前の初めての給食の時は、脱脂粉乳のミルクにコッペイパンでした。クラスでは、少しでも大きいパンをと競って取り合った事を今でも懐かしく思い出します。(70代・男性)
- 毎月の献立表を見るのが楽しみでした。家庭での食事より給食がごちそうでした。(50代・女性)
- 牛乳に溶かして飲むミルメーク、ビンの中に入っているヨーグルト、揚げパン、イカ飯(北海道の名物ということを後に知りました)。美味しかった給食の話を母にして再現してもらい作ってもらった事もありました。(40代・女性)
- 毎日出てくる牛乳「うしのちち」がとても美味しかったです!丸が2つと四角が2つのあの給食皿の形は、今も変わってないのかな~。一般の人も給食を食べられる日がきたらいいのにと思います。(20代・女性)
- 小学生時代に食べたソフト麺が懐かしく思い出の一品です。お汁はぬるくなかなか美味しいとはいえませんでしたが、みんなで食べるのが何よりの給食だと思いました。(50代・女性)
- 60年も前の事ですけど、それも始めての給食で週に一度、コッペパンにジャムをつけてもらい食べるんですけど、とってもおいしかった事が忘れられないです。孫に話したら、え~!と信じられない顔。今は幸せな時代ですね。(70代・女性)
- 給食の思い出は、好き嫌いが多く、家に持って帰っては母に怒られた事です。(40代・女性)
- トマト丸ごと1コ出ていて、塩をつけて食べたのが思い出です。今の給食にはないでしょうね。(40代・女性)
- デザートが楽しみでした。クリスマスやひなまつりの時には、ケーキっぽいのが出るのが楽しみでした。(40代・男性)
- 小学生の頃は、鯨肉が給食に出ました。主に角煮です。今でも時々スーパーなどでお目にかかりますが、高級品のようです。鯨肉の料理には土地柄(地域性)もあるようで、興味深いです。(50代・男性)
- 好き嫌いがあったせいで、よく残されていました。いい思い出はありません。(40代・男性)
- すごく前の事ですが、給食のおかげで好き嫌いありません。(50代・男性)
- 子どもの頃は、家が農家で親達も忙しく食事もきちんとした献立ではなく、いつもありあわせの物を食べていました。ですので、昼前に給食室からカレーのにおいやら、その他のおいしいおかずのにおいに、お腹の虫がグーグーとなるのを我慢して楽しみに待っていた記憶があります。(60代・女性)
- 戦後、ミルク給食が始まりました。広島県呉市。(80代・女性)
- 市外でしたので、自校給食でした。あたりまえのことだと思っていたのですが、給食センター経由の方が多いと聞いて驚きました。(40代・女性)
- 中学2年の時に、食器がアルミからプラスチックに変わったのを覚えています。あたたかみのある食器に変わり、給食がより美味しく感じられました。(30代・女性)
- スキムミルクはおかわり自由だったので、がぶ飲みしました。(70代・男性)
- 出身は愛媛県です。小学校高学年に初めて食べた給食は、粉末牛乳とジャムのついていないコッペパンだけ。味は覚えていないけど、楽しく美味しかったことだけは記憶にあります。(60代・男性)
- 小学校5年頃、学校給食でワラ半紙に脱脂粉乳が配膳され、舐めた経験がある。米国からの援助物資であった。児童達の健康を考えての援助だったと思う。美味しかった。ありがたいことであった。(80代・男性)
- パインパンです。コッペパンのような形のパンの中に小さいパインが入っていて、ほんのり甘い味でした。熊谷以外の出身の友人に聞いてもみんな知りません。熊谷オリジナルのメニューなのでしょうか。そして、今もあるのでしょうか。(30代・女性)
- なんと言っても、脱脂粉乳のミルクです。あれはまずかった。その後、牛乳に変わって嬉しかったのを覚えています。(60代・男性)
- 中学2年生の時に給食室の工事で、お弁当を持っていくことになった時は、とても嬉しかった。(60代・女性)