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◆現代

更新日:2007年6月1日

昭和8年4月1日には県下2番目の市制を施行し、熊谷市となりました。その後も周辺の村々と合併を繰り返し、昭和30年にほぼ旧熊谷市の市域となりました。同じく昭和30年には、妻沼町、大里村、江南村も誕生しました。
昭和の熊谷を語るときに、熊谷空襲は忘れてはならない事柄でしょう。太平洋戦争が終わる昭和20年8月15日の前夜、熊谷上空に飛来したB29爆撃機による空襲を受け、市役所、公会堂、裁判所など主な建物を失いました。この空襲で、市内を流れる星川に多くの市民が飛び込み、火災の熱のため多くの犠牲者を出しました。空襲により市街地の75%を焼失し、死者は266人という、埼玉県下で一番大きな被害を受けた熊谷市は、県下唯一の戦災都市に指定されました。

このように大きな被害を受けた熊谷市ですが、区画整理事業などによりまちづくりを行い、県北の中心都市として大きな復興を遂げました。昭和57年11月の上越新幹線の開通、昭和63年のさいたま博覧会の会場として、また平成16年の埼玉国体では、メイン会場として国体成功に多くの市民が力を発揮しました。そして平成の大合併をうけ、熊谷市は更なる発展を遂げようとしています。

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