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聖天堂と貴惣門の歴史

更新日:2023年6月15日

聖天堂
極彩色が蘇った国宝「歓喜院聖天堂」

国宝 歓喜院聖天堂かんぎいんしょうでんどうは、約840年前に建てられたとされます。火事などの被害で何度か再建され、現在の建物は、宝暦10年(1760)に完成しました。
 
この時の工事は、大工棟梁の林正清はやしまさきよが統率しました。正清は、再建を企画し、優秀な職人を集め、お金を集めるため各地を回りました。工事の費用を負担したのは、幕府や大名、豪商ではなく、妻沼を中心とした庶民たちでした。しかし、道のりは平坦ではなく、大洪水などで中断を余儀なくされ、正清は亡くなります。

正清の子、正信まさのぶによって、色鮮やかな彫刻で埋めつくされた壮麗な建物が完成するのは、工事開始から25年後のことでした。この聖天堂は、榛名神社社殿(高崎市)など後の北関東の建築に大きな影響を与えます。

彫刻については、以下のリンクをご覧ください。

ところで、中断の原因の一つとなった利根川の大洪水では、岩国藩(山口県)が、妻沼の復興工事を命じられました。藩士の中には、有名な錦帯橋(岩国市)の架けかえをした長谷川重右衛門はせがわじゅうえもんがいました。造営中の聖天堂を見た重右衛門は、貴惣門きそうもんの設計を思い立ち、正清に設計図を託します。
この時から100年余りを経た嘉永4年(1851)、正清の子孫の正道まさみちによって、お寺の門としては県内最大級の貴惣門が、ようやく完成しました。

貴惣門の最大の特徴は、全国に四例しかない特殊な屋根の形です。ぜひ一度、三つ重なる破風(山型の部分)を側面からご覧ください。また、精緻に施された彫刻の数々も見どころになっています。

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