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災害の一日前に戻れるとしたら…被災者の体験談に学ぶ内閣府「一日前プロジェクト」

更新日:2018年11月12日

「災害の一日前に戻れるとしたら、あなたは何をしますか」

日頃、私たちは「自分は大災害に遭うことはない」と漠然と考えています。けれども、近年、大災害を見ても、思いもよらないところで多くの災害が発生しています。

「一日前プロジェクト」とは

内閣府が実施したプロジェクトで、地震や水害などの自然災害で被災した方々や災害対応の経験をもつみなさまにお集まりいただいて、

被災直後の行動

体験を通じて上手くいったと思うこと、失敗したと思うこと

もう一度災害が発生したならば、次はどのように行動したい

日頃から何を準備しておけばよかった

といったお話しを聞かせていただき、そこから導き出される教訓や身につまされるお話しを小さな物語(エピソード)に取りまとめる活動です。

被災者の様々な「思い」や「本音」の一例をご紹介いたします

災害をイメージし、「他人事」ではない「自分事」として感じてもらうことにより、明日起きるかもしれない災害に備えていただくために、被災者の切実な声を一部ご紹介します。

転倒防止した家具だけは倒れず、やっぱりやっておけば良かったな

宮城県北部を震源とする地震(平成15年7月)
(東松島市:60代女性)

地震でびっくりして

飛び起きて、とにかくケガをさせないようにしなきゃと思い、孫を抱きかかえて、わきによけたすぐ後に天井の蛍光灯が落ちてきたの。まさに間一髪。
で、寝室から居間のほうに行こうと思って、ドアをあけようとしたら開かなくて、何で開かないのかと思って、それこそ思いっきり押したら、台所のものが全部倒れていて、それで開かなかったんですよ。

やっとその上を

こえて居間に行ったら、2段重ねの和ダンスの上だけ、2段目がテーブルを越えて、2mぐらい吹っ飛んでいました。もうテレビは倒れる、人形ケースは割れる、本棚は倒れるで、足の踏み場もないほどでした。

転倒防止器具を

つけていた家具だけは倒れなかったので、やっぱり全部にやっておけば良かったなと思いました。

安否確認ができなくて心配〜できる限りの情報提供で一安心〜

東日本大震災(平成23年3月)
(東京都大田区:30代女性・空港ビル勤務)

外部から

空港にかかってくる電話の対応も、私たち受付の業務です。地震の後は、空港内でも携帯電話が通じない状態が続き、公衆電話にも長蛇の列ができていました。

そういったなか

固定電話ならつながるということで、空港から出られなくなったお客様の安否を憂慮する、ご家族や、ご友人からの電話が一晩中、ひっきりなしにかかってきました。

なかには

体が悪いご主人のことが気がかりで、電話してこられた奥様もいらっしゃいました。地べたに座っていないか、寒い思いをしていないか、と案じていました。「毛布と一緒に段ボールも配っていますから、大丈夫だと思いますよ」とお答えすると、ホッと一安心されたようです。

電気がない生活に悪戦苦闘〜懐中電灯から携帯電話に充電を〜

東日本大震災(平成23年3月)
(仙台市泉区:10代女性・学生)

高校を卒業して

大学入学前の春休み期間中に震災が起こりました。その日は母と家にいて揺れがおさまるまで家の中でうずくまっていました。茶の間のテレビがテレビ台から落ちたり、戸棚の中のものが落ちてきたりしました。
石油ストーブがありましたが、余震が怖かったので母と2人で自宅前に停めてある車の中で暖房をつけて過ごしました。

母の携帯電話が

メールは受信しても返信ができなくなってしまったので、家族へのメールを自分の携帯電話からしていました。携帯電話の充電がどんどん減っていくので、中学時代に授業で作った手回し充電の懐中電灯に携帯電話の充電ケーブルが付いていたので、それで充電していました。
震災の影響で大学の入学式が中止になりました。しばらくの間、家の電話やネット回線も止まっていたため、大学の入学式が中止になったという情報を得るのに苦労しました。

普段から

電気に頼った生活をしていたことに改めて気づかされました。
もし地震の前に戻れるのなら、電気がなくとも家族や大切な友人たちと連絡をとりあえる手段をきっちりと話しておくべきだと思いました。

食料や物資はふだんから備蓄してないと

平成19年新潟県中越沖地震(平成19年7月)
(柏崎市:30代・女性)

ちょうどコンビニに

停めて、車のサイドブレーキをかけた瞬間に揺れ始めて、そのうちジェットコースターに乗っているような感じになりました。
直後でしたので、運良くコンビニに寄れて水とかおにぎりとかパンとか、当面必要な食料を買うことができました。コンビニは、お酒とかが割れて床が水浸しで、お酒の臭いが混じったすごい臭いがしました。

家に帰ったら

既に停電していました。で、「ああ、ポリタンクを買ってくるのを忘れたね」と言って、慌ててまた買いに出たんですけど、「もう全部売り切れました」と言われてしまいました。
もう水もすぐにとまっちゃうような感じでしたから、ペットボトルの空いたのを一生懸命探して、買ってきた水と冷蔵庫にあったお茶とかで、復旧まで足りるのかなとすごく心配しました。

3年前の

新潟県中越地震のときは水もガスも止まらなかったので、「何とかなるだろう」と、容器とかも全然そろえていなかったんですね。それが、ガスも、水道も、電気も全部とまってしまったので、「私たちはどうなるんだろう」という感じでした。

やはり

食料や必要な容器などは、ふだんから備蓄しておかないといけないなと思いました。

備えのない一人暮らしを反省

東日本大震災(平成23年3月)
(仙台市宮城野区:30代男性・会社員)

仕事中に

地震が発生。事務所内はありとあらゆるものが倒れてきましたが、けが人もなく、全員無事でした。
その後、外に出ていた社員の安全と田舎の両親に無事なことを報告、幸いにもタイミングが良かったのか、メールで連絡をとることができて一安心。
その後は一人暮らしの寮に戻りましたが、メチャメチャな状態・・・。

一人暮らしの

寮住まいのため、普段は自炊を全くせず、毎日の食事は外食とコンビニで冷蔵庫の中はカラ状態が当たり前でした。
田舎の両親に物資の発送をお願いしようとしましたが、震災発生直後は、宅配便も動かなかったため支援物資も届かず、スーパーもコンビニもダメ・・・。大変な思いをしました。

今回の震災で

食料の大切さを感じました。
もし一日前に戻れるなら、缶詰等の食料を買っていたと思います。

非常持出袋より避難が優先

平成16年7月新潟・福島豪雨(平成16年7月)
(長岡市:40代・男性)

緊急用の持出袋を

用意しなさいってよく言われるけど、私は特別なものは必要ないと思いますよ。今回は食料はすぐ届いたし、外に出ればコンビニがあっちこっちにあって、飲み水もある。それを捜す手間があるんだったら、とっとと逃げてほしいと思います。避難するのが第一です。

なぜなら

中越地震の時に、その袋を取りに戻った方が、直後の余震で亡くなられたとも聞いています。そのときにさっと持っていけるものだけ持って逃げればいいんです。私たちも逃げるときは、余計なものは持っていきませんでした。

今回の水害でも

結構みんな、現金とか通帳とかを持って逃げているんですよ。でも、通帳やキャッシュカードがなくても、身分証明さえしっかりしていれば、金融機関は全部やってくれましたからね。ただ、災害泥棒みたいなのがいるから、家をあんまり空けたくないという気持ちがあって、逃げるのをためらっちゃう気持ちもわかります。留守宅の見回りとかを組織的に実施できるようになればいいなと思います。

人に頼る避難より自主避難を!

平成16年台風第23号(平成16年10月)
(徳島市:50代男性・消防団員)

災害対応にあたっていると

避難する側の人の心構えが大事だなと思います。「犬を飼っているので、犬を連れていってもいいか」とか、「寝る布団はあるのか」、「食うものはあるか」とか、いろんなことを言う人もいました。

避難させに行ったときには

消防団が車で送り迎えしてくれるというような考えでいるから、なかなか自分から動かないんですよ。みんな乗用車を持っているんだから、各戸で誘い合って乗っていったらいいのに、悲しいかな、それができない。何度も車で往復しなければならず、時間もかかって大変でした。

それ以降

台風時などの出水については早目の避難ということで、住民の皆さん方には、早い形で自主的に避難をしてくださいというようなマニュアルづくりをしています。

これからは

住民の皆さんが自主的に動く自主防災会のようなシステムをこしらえておく必要があると思いますね。

「いままで大丈夫だったから」は危ない

平成16年台風第23号(平成16年10月)
(徳島市:60代男性)

ずっと昔

我々がちょうど小学校2、3年生のころに、今回と同じ川の堤防が決壊して、軒下まで水が来たんです。そのときに大きな被害を受けたので、地区の人たちの台風に対する備えや考え方は十分にできていたと思いますが、「40年以上たったから、もう心配ない」というのがどこかにあったのではないでしょうか。

平成16年は

台風が特に多かった年で、5回台風が来てもなんとかなっていたものだから、6回目の台風23号の時には、「避難しろ」と言っても、なかなか言うことを聞かなかったということなんですよ。

それで大変な被害を受けたものだから

あれから、台風がくるといえば、みんな、車とかを高いところに上げています。それがいつか、「上げたけど心配なかった」になり、「もう上げなくてもいい」というようになって、危機感がだんだん薄れていかなければいいのですが。今回の水害で、『災害は忘れたころにやってくる』ことを実感しました。

2階に避難して正解〜分かっていたならもっと準備をしていたのに〜

東海豪雨(平成12年9月)
(清須市:60代女性)

水は低い方に流れるって

本当ですね。川が決壊すると、周りより土地が低い私たちの町へ水が一気に流れ込んできました。けれど、2階までは水が来なかったので、2階で待機していたのは、結果的にバタバタしなかった分だけ良かったかなと思います。あの状況でどこかに避難するっていうのはかえって危険でした。

でも、水が

2階への階段を一段ずつのぼるように迫ってくるのは、どこまで水が来るかわからず、「増えてる、まだ増えてる」と、すごく怖い思いをしました。

丸2日間

自衛隊がボートで運んできた菓子パンや家にあったものを食べて、何とかしのぐことができました。自衛隊のパンは、たまたま2階にあったビニールひもを窓から投げ下ろして、結びつけてもらって引き上げました。

こうなることが分かっていたら

多分もっと準備をしていたと思いますが、60年位ここに住んでいる主人が、「伊勢湾台風のときだって、道路にチョコっと水がきたぐらい」と言っていたので、「まさか」って思っていました。

水が出てからじゃ、逃げようと思っても逃げられない〜地域で声かけ、早めの避難が大事〜

福岡水害(平成15年7月)
(福岡市:70代男性・消防団員)

うちのグループで

1階部分が水に浸かったところは、1戸1戸確認して回りました。それが100戸以上。ある住宅では、車椅子の女性が膝ぐらいまで浸かっていたので、抱え出して小学校の方に避難してもらいました。地元の人が「あそこは1人やから。車椅子じゃから」って言うから、家の中まで入っていきました。

ただ、一般の人は

実際に自分のとこらへんに水の来んかぎり避難所に行かんとです。「学校か公民館に避難してください」と言っても、「いや、うちは来んでしょう」っていうような感じでね。川のすぐ近くの人たちは避難するけど、もう1つこっちの道路になると溢れてなければ全然腰をあげません。「川の近くじゃけん、見える」とおっしゃった人もおるけど、そこらへんが難しいなと。

川が溢れる時は

見る間にドーって増えるけんね。水が出てからじゃ、逃げよう思っても逃げられんようになるってことを知っていてもらいたいなと思いますね。

災害時の助け合いは普段のつき合いがあってこそ

東海豪雨(平成12年9月)
(名古屋市:50代男性・音楽家)

私の住んでいる分譲マンションでは

1階が床上40センチぐらいまで浸水しました。明け方に水が来た時は、1階の人も一緒に2階のベランダ越しに外を見ていたんです。
水が入ったために停電になり、エレベーターが止まってしまったので、9階に住んでいるひとり暮らしの障害をおもちの方は、移動手段がなくなって、大変苦労されていました。で、そのお向かいやお隣の方が食料の調達とか、いろいろ面倒をみていました。

その障害のある方は

マンションの年1回の総会にも必ず出てくるんですよ。だから、彼が車椅子で入ってこられるよう会議室の出口を広げたりしていて、ほとんどの住民が「がんばっている人だな」という認識がありました。

やっぱり、ふだんから

近所つき合いができていたから、自然に手助けができたのだと思いますよ。連絡は取れない、総会にも来ないという人には手助けのしようがないですからね。

特定の避難所より2階や親戚〜自主防災会で計画〜

平成11年台風第18号(平成11年9月)
(宇部市・60代男性)

私は民生委員をしていますが

情報を出してくれと言っても、「嫌ですよ」というのが結構あるんです。「じゃ、あなたは死んでもいいんですか」と言ったら、「いいです」と言う人がおられるんですよ、事実。

行政は指定の避難場所に避難してください

と言うんですが、65才以上のいわゆる災害弱者と言われる方がひとりでそこまで行くのは無理なんですよ。だから、その人の状況によって、避難場所は親戚でも、自宅の2階でも、指定の避難場所でもいいと思うんですよ。「ここで死んでもええ」と言う人も、極端に言やぁ強制的に避難させにゃいかん。これも我々自主防災会の大きな使命だと思います。

地域住民が消防団と一緒になって

地域のお年よりを援助する仕組みを作成中ですが、何と言っても日ごろからのコミュニケーションが大切ですね。

意外なほどもの言う避難所の「肩書き」

東日本大震災(平成23年3月)
(新地町:60代男性・自治会長)

避難所では

なるべく役割分担をし、「○○係」と役職をつけ、その役割を明確にしました。例えば支援物資が届いたときなどに、だれが受け取るかは重大な問題です。あらかじめ決めておかないと、後々、だれが受け取ったのか、どこに置いたのか、責任者はだれかといった話になりがちなのです。スペースを作るためにだれかがものを移動したりすることもしばしばありますから、荷物の管理は重要です。

特に日常生活とは違い

非常時のときは勘違いも起きやすい。そうならないために「受け入れ係」を決めておくのです。こうすれば作業はスムーズだし、物資の管理もしやすく、届ける側も安心です。こうして小さな役割でも「係」にするのは、避難所運営の一つのコツだと思います。

私たちの避難所では

こうした役割のほか、順序なども大切にしました。避難して1か月くらいしたころ、洗濯機が支給されたのですが、これも使う順番をきちんと決めて譲り合って使いました。おかげで大きなトラブルもなく、避難生活を送ることができました。

よくルールづくりが

肝心だと言われますが、責任を明確にすることも大変大事です。団体生活の運営をスムーズにしていくコツがここにあると思います。

避難所は恵まれた場所とは限らない〜まず各家庭で、備えをしておこう〜

平成17年台風第14号(平成17年9月)
(杉並区:40代男性)

小学校を

避難所にするということに決めて、防災倉庫を見に行ったとき、まず「足りるかな」と思ったんです。初めてのことで、何人来るかわからなかったから。

毛布も

一部は置いてあるんですが、ほとんどは川の向こう側にある災害備蓄倉庫にあるので、このまま雨が降り続いたら、実際どうやって取りに行こうかと思っていました。

学校の体育館と言えば

夏は暑く、冬は寒いというところですから、避難所に行けば安心できるかというと、気持ち的にはみんな一緒で心強いという感じはあっても、物質的には決して恵まれている状況ではないんですよ。

それをみんなが

ちゃんとわかってくれていない。前もって、自分たちの家で備えておかなければならないこと、それから、こうなったときには自分たちはこういうふうな対処をするんだという心構えというものを各家で決めておいてもらわないと、いざという時にパニックになっちゃって、受け入れるほうも受け入れられないという状態になっちゃうのです。

そういう認識を

まず各家庭で持っていないといけないですね。

最後までお読みいただいた方へ

いかがでしょうか?

物語は地域、職場、家庭などさまざまな場面で生まれています。きっとあなたが共感できるものがあるに違いありません。

そこで何かを感じとったら、すぐにでも行動に移してみてください。

また、ご近所の方や職場の同僚などとこれらのエピソードをもとに、「自分だったらどうするか」など、意見を交換することも、災害への気づきを呼び起こすうえで有効です。

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