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おたよりパレットNo.42 「思い出の歌・曲」

更新日:2010年5月1日

熊谷にまつわるテーマについて、市報くまがやの読者の皆さんからお寄せいただいたご意見を紹介するコーナー「おたよりパレット」。
今月のテーマは「思い出の歌・曲」です。
「この曲を聞くとあの頃の思い出が蘇る」といったおたよりをたくさんいただきました。皆さんの青春時代を垣間見ることができますね。

SMAPの「がんばりましょう」。この曲を聴くと素直に「がんばろう」という気になります。昨年のさくらマラソンの時も辛くなったときにiPodからこの曲が流れてきて、パワーが出ました。(40代・女性)
友達の結婚式でのこと。友人代表として歌った長渕剛の「乾杯」は、今でも忘れられません。式が始まる前に歌詞カードを各席に用意し、本番ではギターを弾きながら歌い始め、その後は全員で大合唱。もう10年も前のことですが、思い出はいつまでたっても色あせません。(30代・男性)
「別れの一本杉」が思い出の曲です。昔はラジオが何よりの楽しみでしたので、この曲を聞くと青春時代が懐かしく思い出されます。(70代・男性)
思い出の歌・曲は、舟木一夫の「高校3年生」です。小学校1年生の初めてのバス遠足で覚えた歌です。歌詞も曲もとても素晴らしく、すぐに覚えて毎日歌っていました。(50代・男性)
30年前の結婚式で、超オンチの私が夫婦で何回か練習し、「銀座の恋の物語」が思い出に残っています。(60代・男性)
私が一番最初に買ったレコードは、なんと昨年この世を去ったキングオブポップことマイケルジャクソンの「スリラー」でした。レコードプレイヤーからCDプレイヤー、MDプレイヤーと代々この曲を聴いていますが、スリラーはレコードプレイヤーで聴くのが一番です!(30代・男性)
一番好きな歌はチェッカーズの「なみだのリクエスト」です。今まで会社の旅行、カラオケスナック等で500回以上は楽に歌っています。非常にテンポがよく、場全体を盛り上げるのに大変効果的な曲だと思います。これからも歌っていきます。(50代・男性)

「村の鍛冶屋」です。私の実家は旧三尻村で、父が鍛冶屋でした。小学校の音楽の時間などで、この歌が流れると級友が私の顔を見るので、いやな気分になりました。しかし今では懐かしい思い出となっております。(70代・男性)
「エーデルワイス」です。初めて見た洋画「サウンドオブミュージック」が感動しました。今、コーラスクラブで歌っていますが、高校生の頃を思い出します。(60代・女性)
3月といえば、卒業です。私の中学校では、卒業式に森昌子さんの「中学三年生」を歌いましたが、最近のように思い出されます。歌のなかの詩のように同級生はみんな涙で歌がうまく歌えなかったことが今でもはっきり覚えています。そんな中、前に立っていた先生たちも涙をこらえていたように思います。「もう戻れない青春の1ページ」でした。(50代・男性)
一昨年の秋、主人が亡くなり、「千の風になって」の歌が一層身にしみている今日この頃です。(60代・男性)
ビートルズの「Let it Be」。娘もビートルズが好きで家族でいつも聞いています。(60代・男性)
10年前、初めて人前でヴァイオリンでひいた曲、「アヴェマリア」。いつでもうっとりします。(50代・女性)
赤とんぼは思い出の歌です。小さいころ、よく母とこの歌を一緒に歌ったもので、この年になっても懐かしく思い出します。(60代・女性)

昭和22年小学校4年生の時に、新任の若い男の先生が教室のオルガンを弾いて、生徒皆で合唱した「牧場の朝」は今でもはっきり覚えています。時々口ずさんでいます。(70代・女性)
EXILEの「Lovers Again」が今は思い出の曲になっています。この歌は初めて彼氏とドライブしたときにラジオから流れてきたものです。それ以来この曲をよく聴くようになりました。(20代・女性)
思い出の曲は結婚披露宴の時、友人が替え歌で歌ってくれた「てんとう虫のサンバ」です。今でも思い出したときはテープを聴いて懐かしく思っています。(20代・女性)
高校生の時、教育実習生の先生と合唱コンクールのために練習したスピッツの「チェリー」です。この曲を聴くと一生懸命練習したときのことを思い出して、ジーンとします。私の青春時代です。(20代・女性)
ペットが死んでしまった時に流れていた曲が「三日月」でした。この歌が流れると元気だったころのモルモットのモルを思い出します。(50代・女性)
私の思い出の曲は「お富さん」です。あまり流行りすぎて小学校で歌うのを禁止になりました。(60代・男性)
桜のトンネルを車で通りぬけながら、ラジオから流れていた曲、小川知子さんの「初恋」。当時はこの曲がかかると幸せな気分になりました。春がくると思い出します。(50代・女性)

社会に出て就職し、飲み会で初めて歌わされたのが「隙間風」でしたので、その後のイベントでもよくこの歌を歌い、今でも歌詞はよく覚えています。(60代・男性)
笛を習い始めた頃に、「月の砂漠」が御宿海岸の砂浜からイメージされたものだと知りました。今でも月の砂漠の曲を聞くと、二人は砂漠を越えて、どこに行ったのか気になります。(60代・男性)
さいたま市から熊谷に引っ越してきた時に、友達が歌ってくれた「おぼろ月夜」が幼い頃の思い出の歌です。(40代・男性)
中学生の時、素敵な音楽の先生がおりました。先生はいつも「白い花の咲く頃」の曲をピアノで弾いてくれました。その曲を時々口ずさみながら、「先生は元気かな。」と懐かしく思い出しております。(60代・男性)
社会人一年目のころにヒットし、自分の将来の夢に重ね合せて一生懸命に覚え、辛いときや悲しい時に歌った畠山みどりさんの「出世街道」。定年退職した今では、若い時のよき思い出です。(60代・男性)
戦後、混乱のなか熊谷の町もまだ焼跡も残り、すさんだ日々がつづいていました。そんなとき家外テレビからひばりさんの歌声がして、見入る人たちの微笑ましい夏の夜の思い出の歌です。(70代・女性)

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